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落ちた

どうやら若手俳優とバンドマンが好きらしいです

リリーのすべて をみた

ここに書いてあることはわたしの妄想がほとんどです。個人の感想だから苦情は受け付けません。そこんとこよろしくな!

Amazon Prime会員になって早一年弱です。きっかけはお試しからの解除し忘れというなんとも鈍くさいものですが、気付けばその充実具合に来年も継続しようかなと思っているところです。今期のプライムビデオのアニメ配信リストが最高にわたし好みなのです。

ところで先日何気なくプライムビデオのトップページを見ていたら、映画「リリーのすべて」が配信されていることに気付きました。わたしは主演のエディ・レッドメインさんがとある不純な理由で好きなのですが、この「リリーのすべて」が劇場で公開されていた時期はそれなりに忙しいこともあって結局見られず仕舞い。先日バンドマンのおっかけしたタワレコ渋谷店でDVDが出ていたので買おう~と思っていた矢先、配信を見つけたのです。ご存知ない方にサラッとわかりやすくお伝えしますと、今ファンタスティック・ビーストの主演をやっている方です。顔がどタイプです。

 このエディ・レッドメインという役者さんは活動期間の割にはメジャーな出演作は決して多くないと思います。ここ5年くらいでやっと目立ち始めた役者さんじゃないかな。かくいうわたしもその目立ち始めた時期に好きになったクチです。ミーハーでなにが悪い。

長い前置きはここまでにして、自分のなかで感想をまとめていきたいと思います。

ネタバレホイホイするので気にしない方だけご覧ください。

 

総括してとても美しい愛の物語だったと感じました。ラブ・ストーリーなんていう言葉じゃなくて。愛の物語だった。いやどちらか一つの言語に変えてしまえば同じ言葉なのだけれど、日本人的に「ラブストーリー」と「愛の物語」って決定的に受け取り方が違うと思うんですが、このニュアンス、わかりますでしょうか。でも純愛なんかじゃないんだよね。原作、というか、実在した方について書いた原作小説をもとにしているようなのです*1が、とにかく劇的だ。ドラマティック。でも決してロマンチックではないのだ。生々しいのに劇的で、その二つの矛盾が綺麗に折り重なった作品だった。愛って本来美しいものであり、同時にセクシュアルであり、それでいてプラトニックな、矛盾を全部含めて愛なんだなあと思った。愛を一つに集約することなんかできっこないんですよね(ポエマ~)。タイトル「リリーのすべて」は日本映画だけなのでしょうか。原作は”The Danish Girl”。直訳すると「デンマークの少女」だし、史実のご本人が書かれた自伝は"Man into Woman"だし。

セクシュアル・マイノリティは病気ではない、というのは現代のわたしたちの常識になりつつあります。未だに偏見は多く存在していますが。わたしは高校生の時、身近にバイセクシュアルの友人がいたこともありましたが、わたしの周りはそんなこと全然気にも留めてなかったです。自分の周辺を常識として捉えるのは甚だ危険な行為ではありますが、特にわたしの周りは、いい意味でセクマイについて何も思っていなかったと思います。セクシュアル・マイノリティという言葉がある以上、その存在をマイノリティとして受け止めてしまうのだけれど、という話は物議を醸すので黙っていますね。ジェンダー論と言葉狩りという話になってしまいかねませんので、今はその話をしたいわけじゃないんだわたしは!

 

演技についてはわたしは何も分からないので圧倒的語彙力のなさを露呈するしかないのです。主演のエディ・レッドメイン氏が目と口元で表現する、憂い、迷い、そして幸福感の演技が素晴らしかった。2度目の手術の前夜にゲルダが去った後の泣き顔と、息をひきとる瞬間が、個人的にはものすごくグッときた。

主役アイナー・ヴェイナーの妻であるゲルダ役だったアリシア・ヴィキャンデル氏は本当になんかもう…最高でした…!ゲルダ、あまりにも優しすぎて、強がっていて、それがもう痛々しくて、でも最後にはもう強がりなんかじゃないんだなっていうのがじわじわと伝わってきて。そりゃ受賞するわけよ。

 

ビビッときたのが鼻血=生理のレトリック。アイナーが女装してリリーとしてゲルダと初めて舞踏会に行き、男性であるヘンリクと出会います。ここの段階ではまだアイナーはリリーを自分の「中の存在」としては認識していないように思います。なんていうか、女性性を感じつつも、まだ少しコスプレみたいな気持ちがあったようにわたしは感じました。話を戻しますね。ヘンリクはリリーを舞踏会会場から連れ出し、二人きりになって口説くのですが(ここのセリフも最高)、その際にリリーに不意打ちのキスをしました。その時、リリーが鼻血を出します。その後ゲルダに連れられその場を去るのですが、そのころからアイナーの様子がおかしい。わたしはこの鼻血こそがアイナーの内側にいるリリーが一人の「女性」として開花したレトリックだったんじゃないかなって思いました。性機能を持たない「少女」が生物的に「女性」になる、一番わかりやすいきっかけが初潮です。それまでは生物として子孫を残すための性機能として機能していなかった体が、今は性機能として動きますよ、という体からの合図です。少女はそれを経て女性へと成る、出来上がっていく。リリーがアイナーの体を通してこぼしたその赤い血液は、少女が女性になるそれだったんじゃないかなって思いました。この部分は例のシーンの直後に書いてるのですが、そのあと医師の診察を受けるシーンで毎月お腹の痛みを伴ってくる、と表現されているのでほぼ確定していいことだよね?

 

正直なところ、見ていて何が正解なのかわからなくなった。途中で段々と、どの視点でこの関係を見るべきなのかわからなくなってしまった。アイナーはアイナーとして生きるべきだったのか、リリーとして生きるべきだったのか。ゲルダはリリーを受け入れるべきだったのか。ゲルダは本当にリリーを受け入れられていたのか。リリーは本当に「愛されるに値しなかった」のか。愛って、なんだったのか。でもね、愛されるに値しないなんて言葉は、最後にリリーはゲルダから逃げたのかなぁって思った。愛されるのが怖いのかなぁ。ゲルダを愛したアイナーは、まだ死んでいなかったのかなぁ。ゲルダはリリーを責めなかった。心配はしても、責めやしなかった。いや、本当は、責めたい気持ちもあったとは思う。ゲルダは救われたのかな。救われたかったのかな。それでもゲルダがリリーに与えたのは、まぎれもなく愛だ。正解なんかなかったのかな。そこにあったのは一瞬の夢なんかじゃなくて、理屈を超えた現実だった。

 

またなんか思いついたら追加しよう。

*1:もちろん何もかもが実在したご本人の半生そのままなわけじゃないけど