落ちた

どうやら若手俳優とバンドマンが好きらしいです

舞台 文劇喫茶シリーズ第一弾「それから」を観てきました。

表題の通り、先日、舞台「文劇喫茶 それから」を観てきました。ネタバレと、とても、批判的な内容を含んでいるので、気分を害されたら申し訳ありません。あくまで個人の感想で、違う人の目からはそれが良いことに写りますし、わたしがこう感じただけだから!それを承知の上で読んでくれよな!

 

夏目漱石が好きなただの原作厨です。主演は平野良さん、ヒロインは帆風成海さん。初めてお聞きしたお名前だったのですが、元宝塚の男役の方なんですね。

「文劇喫茶」というシリーズのテーマはよくわかりませんでした。どのへんが喫茶なんだろう!文劇シリーズでよかないですか?そこんところどうなんでしょう、トークショーとかで明らかにされているんでしょうか。正直原作も原作なので、いわゆる若手俳優が主として出ている舞台の雰囲気をそのまま踏襲すると、酷評が飛んできそうだなあなんて思いました。極上文學シリーズはどうだったんですかね。朗読劇なのでまたちょっと状況は違うと思うんですが。

 

わたしとしては漱石三部作を連作で上演してほしかったな…と思ってしまった舞台でした。シンプルに言うと脚本の面で解釈違いを起こした感じです。

あばー。全然トークショーとか行ってないのでどういう意図でこういう脚本にしたのかわかんないんですけど、わたしが一回観た限りだと「漱石三部作の『それから』の舞台」というよりも、「『それから』というタイトルの独立した舞台」という印象を受けました。もちろん連作で出していないってことはそうなんだろうけどさ!

 

今回の舞台は、後半にいろいろな「終わり」を印象付けられて終わったせいか、なんとも言えない終わり方をしていたなあと思ってしまいました。なんの!?それから!?

三千代の危篤(=命のおわり)、代助と平岡の絶交(=友情のおわり)、代助の発狂(=まともな人間としてのおわり)この三つが最終的にわたしには色濃く残ってしまって、どうしても前向きな(代助がこれから社会に出ていこうと決意する、みたいな)終わり方に取れなかった…いや三千代まだ死んでないけど。最後の赤いシーンは、原作の通りしっかりと赤く染まった舞台だったんだけど、平岡との口論の後すぐにそのシーンに移ったせいか、まるで、三千代との縁も切られ、代助の頭がおかしくなって、このまま狂って一人で生きるんだ…いやもしかしたらこのまま死にに行くんじゃ…?と思わせるためのシーンように感じました。物語終わった?あれ?もしかしてわたし一瞬寝てたのかな…?中盤に一瞬寝落ちていたのは気付いていたけれど、エンディングは起きていたはず…あれ…?もう記憶が曖昧なのです……寝ていたらすみません……

本来「三四郎」「それから」「門」は、三部作すべて流れで読むとより一層物語の主題が見えてくる作品群だと思うんですよ。登場人物は違えど、物語は繋がっていなくても、主題が少しずつ移り変わって繋がっていて。なので、できることなら、「三四郎」から「門」まで、ぜんぶやってほしい!!!!

 

エンディングだけじゃなくて、経過においても若干違和感を受けてしまいました。決して「演技が下手」とか、そう悪く言っているわけじゃなくて、違和感なんだよな。

明治~昭和の文学(すみません、最初大正って思いっきり書き間違えていました。頭の中で時代が大正明治昭和ってなってた。)ってなんかこう、エモーショナルさが社会的な規律や体裁に押し込まれているような雰囲気ありません?それが逆にエモい!みたいな。なんだろうなあ、現代とは違う人間関係の距離感の趣き深さっていうのでしょうか。

もちろん原作は文章を読んでいるので使う言葉や記号に依るものも大きいとは思うんですけれど、やっぱり漱石が生きた社会は、明確に今とは違った人とのかかわり方が「当時の常識」だったんだと思うんですよ(わたし生きてないから知らんけどな!)。

 

全体的に今っぽいテンポだったなあって思います。間の使い方かな…

まあ、それは仕方ないと思うんだけどね。過去のものを現代に合うようにアレンジするのも必要なことではあるし。

 

途中までは「わ~舞台にするとこんなテンションなのか~」ってくらいの気持ちで見ていたのですが、終わった後に燻ぶっている気がして、「は!これも解釈違いか」ってなりました。舞台独特のクセと言いますか、映像とは違って、少し大げさに芝居をせざるを得ないところはありますよね。それが裏目に出ていたというか。

 

原作が好きなだけにちょっとしょんぼり。あの時代の文学は雰囲気を味わうのも一つの醍醐味だと思っていたので…はっこれが原作厨の嫌われるところか、ごめんなさい。原作好きには正直あんまりおすすめしないです。

 

 

あとゲストさんの使い方がいまいちわからなかったです…ゲストさんの役ってサラっとしていながらも実は物語の中でも分岐点というか、寺尾も平岡とは違った方向で代助と対比になる存在で結構大事な役回りだと思うんだけど、日替わりネタが強すぎて重要なところが軽んじられているような気がしてしまいました。(ああ~~~そこ、もうすこし、こう、ああ~~~)みたいな。なんだろうなあ、物語に無理やりねじこんだみたいになっていた…や、日替わりネタを無理やりねじ込んでない舞台はなかなかないと思うけど。そこでこれ入れる?ってなった。

 

 

あ!全体的に!ビジュアルは!好きです!舞台セットも素敵だった。花を使った演出は美しかったし、嗅覚をも感じさせるような空間できゅんとしました。

 

それに加えて、三千代さん所作がお美しいし、姿勢がとってもよくて(そこ?)、声が凛としていてとても魅力的な方でした。三千代のイメージには少し凛としすぎる女性だったかな?「男を立てて、3歩後ろで支える女性」としては。

でも百合のささった花瓶の水を飲むくらいだから、三千代って結構意思の強い女なのかもしれないし、そう考えると妥当な配役なのかも。儚げな病身で旦那に振り回されつつも文句を言わずについていく姿もありながら、自身の意思で行動を起こせる凛とした強さもある女性。そう思えば帆風さんでよかったのかもしれない。

 

ああ~~~~明治~~~~明治の女性~~~~~~~~ってなるヒロインですよね、三千代。想いを寄せているけれど叶いっこないと思っていた女性に「さむしくって不可いけないから、又来て頂戴」なんて言われたらもうアレですよね。アレ。

舞台でなんて言っていたのか一字一句は覚えていないんだけど、あのシーンは何で見てもグっときます。

たすけて、さらってほしい本音なのだろうけれど、それをあの場で、あえて「さむしい」という地方の言葉を使って声にしたのは、ある意味三千代の狡さでもあるのかもしれません。あ、これは完全に原作の感想です。やばいね、三千代マジで沼だね。

 

それと、代助のエゴっぷりも、平岡のエゴっぷりも、どっちもものすごく前面に出ていて、そこは良かったなあと思います。すげえ!こいつ!ほんものの!じこちゅうだ!平岡もたいがいやろうだな!おまえらまとめて女の敵だ!って思いながら観ていました。

 

ここまで来てしつこいと思われると思うんですが、アレなので何度も言いますけど、あくまで個人の感想で、違う人の目からはそれが良いことに写りますし、わたしがこう感じただけなので、「こう考えるとおもろいで!」っていう観方があったら教えてください。

 

 

でも正直に言おう!高等遊民になってみたいだけの人生だった!

 

 

終わり