落ちた

どうやら若手俳優とバンドマンが好きらしいです

「もうひとつの地球の歩き方」がすごかったので考察したい

表題の件で復活しました。こんにちはお久しぶりです、ときです。

虚構の劇団第13回公演「もうひとつの地球の歩き方」を観てきました。まだ行く予定ですが、自分なりにいろいろ考えたことをちゃんとまとめておこうと思います。

個人的に演出・脚本の鴻上尚史さんが同門だということもあってとても期待していました。どきどき。うちの大学特有かもしれないのですが、同門の方って自然と言葉が合うというか、なんかそういう傾向がある気がします。気のせいかもしれません。

 

ここからネタバレオンパレードなので折りたたんでおこう!

名古屋・大阪・凱旋公演にいらっしゃる方も多いと思うので、「もう観たけど他人がどう考えているのか興味ある」「どういう話か興味ある」という方はどうぞお進みください。あらすじは書いていません。

 

 

 

今回公演前に劇団側から公開されたあらずじが「AI」「シンギュラリティ」「記憶」「天草四郎」だったんですね。鴻上さんはあまりあらすじを詳細に書くタイプではないみたいですが、この四つの単語がどう頑張っても結びつかなくて、物語が始まるまでずっといろいろ考えていました。

わたしが事前に考えていたのは「技術はいずれ神様になるのか」ということ。この場合の「神様」は「創造者」や「造物主」としての神様で、信仰対象としての意味合いはありませんでした。

プライベートな話で恐縮なのですが、わたしは医療のはしっこに関わる仕事をしておりまして*1、よく医学会にも参加させていただいています。仕事柄最新医療を目にする機会も多く、「いずれ医療技術は神の領域に踏み込んでいくんだろうか」と常々感じておりました。

さて、閑話休題、話題をもとに戻しますが、タイトルについては最後に再考したいのでとりあえず自分が思ったことをつらつら書いていきたいと思います。

 

「AI天草四郎」と主人公が天草四郎でなければいけなかった理由

いやもうこれ本当にずっと考えていて、ずっと難解だ…と思っていたんです。宗教的な活動をしていた人なんて山ほどいるし、聖人として認定されていない天草四郎がなぜこの話に出ないといけなかったのか。

まず天草四郎の簡単なプロフィールですが、「島原の乱で最高指導者として君臨した16歳の美少年」です。すんげ単純に言いましたが。天草四郎については物語中でも多く話されているのでそれを思い起こしながら考えてみたのですが、わたしがたどり着いた答えは「天草四郎は作られた崇拝対象としての偶像だった可能性がある」というところに尽きるのかな、と。

劇の中でも言及されていますが、一揆が始まってから天草四郎の姿を見た者がいないんです。だからそもそも存在していたのかどうかすら危うい。伝説では母親が~ということですけど、本当にその人が天草四郎の母親で、指導者となったのが本当に天草四郎だったのかすら危うい。

 

今回の主題は正直明確ではありませんが、多くの登場人物が現代社会に蔓延る社会問題を抱えています。パワハラ、セクハラ、承認欲求など、まあ一言で言ってしまえば社会的弱者が劇中にたくさん登場します。わたしは無宗教というか「都合がいい時に都合がいい神様がいい具合に助けてくれるかもしれないし、たくさん神様がいたら面白いなと思うけど基本的に自分のことは自分でどうにかする」教*2なのであまり実感はないのですが、今って様々な新興宗教が出ていますよね。あまり公の場で宗教の話をするのは好ましくないといわれますが、今回この話で重要な意味を持つので言います。わたしは宗教っていうのは弱者にとっての精神的セーフティネット*3なんだと思うんです。だから好ましい・好ましくないとか正しい・間違っているはまあ一度置いておいて、宗教って言うのはこの世に存在してしかるべきことです。

 

ということを念頭に置いておくと、なぜ天草四郎じゃないといけなかったのか、わたしのなかでピンと来ました。あっているかはわかんないけど!

・AI天草四郎はナントカ社(覚えてない)が「創り上げた」天草四郎

・歴史上の天草四郎は民衆が「創り上げた(可能性がある)」

天草四郎(inケンスケ)の元にはたくさんの弱者からのメッセージが届いた

天草四郎の存在は、あくまで人の記憶に依るものであって、具体的な実像がないんですよね。宗教的意味合いが強く、かつ弱者が集いひとつの悪に向けて戦った歴史上最大の一般人による一揆の主導者だ、というところが今回の主人公を象徴しているのかなあと思いました。

 

 

そして天草四郎は、神様にはなれなかったんです。

 

天草四郎は人間でした。聖人でもなければ神様でもない、まぎれもないただの一人の人間。

AIはいずれシンギュラリティを迎え、人々の生活を大きく変えていくといわれています。技術が人の能力を超越する「技術的特異点」、それがシンギュラリティ。でも天草四郎は人を超えられなかった。どんなに宗教的な行動をしても、どんなに人々の中心になろうとも、どんなに人々が崇め奉っても、最後まで彼は人でしかなかった。

技術的な面では超えられても、人が人であるところを超えられない、というか、そもそも代替になりえないんでしょうね。

 

でもなんでケンスケに天草四郎が憑いたのかは正直わからんかった。あと戻ったトリガーがシオリさんだったのもよくわからん。

劇中の天草四郎はケンスケじゃないとおもうんだよなあ。右衛門作が乗り移るくらいだから天草四郎天草四郎だとは思うんだけどな…解離人格ともまた違う気はする…

と言いながらもケンスケ自身に無意識化でプログラムされた天草四郎のデータだったのかなーとも思う。シオリさんに罵詈雑言吐かせた自分に対する自責の念で自らの人格を内側にしまいこんで、その前に缶詰めになって作っていたAI天草四郎のプログラムデータをあたかも自分の人格のように使ってしまったのか、とか。だってそうじゃないとあんなめちゃくちゃなことはしないと思うのよね。ケンスケだった天草四郎は、あまりにも恐怖心が欠けていた。あれは恐怖心の欠如なのか正義の方向性が狂っていたのかはわかんない。それか偽天草四郎の影響を受けて学習してしまったのかな~弱者を救う→正しいって学習した結果、あんな無茶な行動をしてしまったのかな。正直ケンスケという人間が全然つかめていません。

 

まだまだ穴だらけなのでこれから何度か観劇して穴埋めしていきたいですが、いまのところはこれがわたしの答えです。

 

 

正義と承認欲求

この物語を通して常に存在していた概念が「正義」だと思うんです。

歴史上の天草四郎が民衆の「正義」だったように、AI天草四郎が一時的に社会的弱者の「正義」だったように、サクラちゃんがいじめっ子に復讐することが自分の「正義」だと感じていたように、ケンスケだった天草四郎が社会的弱者のために「正義」を振りかざしてしまったように。

そしてすべて、別の角度から見たら「悪」にもなりえることだった。

AIって基本的には「計算で解決できることをより高い精度とスピードで解決すること」を主としていると思うんですが、正義っていうのはそもそも人によって変化することですよね。Aさんにとって○○だとしても、Bさんにとっては××っていうこと。そういうことには向かないんです。人によって価値観が異なりすぎるから。すべての人にとって同じ価値を持つ答えを出すことはできても、それぞれの人にとって違う価値を持つ答えは出せない(=思想の偏りを生じてしまう)。概念的な面はどうしても苦手ですよね。まあ将来的に感情をプログラミングできるようになるかもしれないけど、その感情は何が正しくて何が間違っているのかは世界基準がありません。それは、正義だって同様です。

この物語の中では、正義がコロコロと変化していきます。弱者を助けることが正義だと見せた直後にその振りかざされた正義のせいで人が亡くなる。それを見ていると、正義って一つじゃないどころの話じゃないんですよね。

 

AIはそういった判断はできません。一辺倒だから。論理がないところに答えが出せないから。Aさんの正義を元に組み込んだプログラムでBさんの正義は理解できないし、Bさんの正義を元に組み込んだプログラムでAさんの正義は理解できない。そこが人間とAIの違いなんだと思います*4。わたしはいずれできるようにはなると思うんだけど、特化型AI作っているうちは無理ですよね。これも含めて、AI天草四郎は人間にはなりえないんじゃないかと思っています。

 

少し話は変わりますが、正義ってある種宗教的な見方もできて、特定の悪に対して同じ思想(=正義)を持つ人が集まると一つの団体になりますよね。今はインターネット社会で、環境さえ整えばどこにいてもつながることができます。日本中、世界中を巻き込むことだって容易にできるんだなって思うと怖いですね。わたしは物語の後半で多くの人が天草四郎(inケンスケ)を悪のように叩く民衆やマスコミが、一つの敵の元に集ったように見えました。もちろん混乱に乗じて叩くことが目的になっている人もいますが、そういうのも含めて社会がある程度まとまった団体を形成するにあたって天草四郎(inケンスケ)という「正義」が社会にとっての「必要悪」として扱われていたのだと思います。必要悪って言う言葉、嫌いだなあ。

天草四郎が民衆にとっての正義だったけれど、他の誰かからしたら悪でしかない可能性だってあるんだよね。天草四郎が戸惑っていたように、当時から環境は大きく変わっています。キリシタンは隠れる必要がないんです。少なくとも日本では、信仰の自由が保障されています。だから当時と同じ民衆のための「天草四郎」は必要なくなったんです。

でも確実に、社会にないものとされてきた人々や、社会のお荷物だと扱われている人だっています。サクラちゃんが透明人間みたいだと感じていたように。良くも悪くも他者に対して無関心な世界で、サクラちゃんみたいに露骨に無視されたわけではなくても、隠れた透明人間ってたくさんいるんですよね。

かつて政府と民衆の間で起こっていた強者と弱者の構造が、民衆の中で起こってしまった*5。だから天草四郎は、その弱者を救うために、弱者を一つの群にするために、自ら正義になろうとした。そうすることで自分の存在意義を保とうとした、というのもあるかもしれません。半分とまではいかなくても、正義であろうとすることが彼の承認欲求を満たす方法だったのかもしれない。おや!?話がちらかってきたぞ!

この話の中では承認欲求が満たされていない人が何人か出てきています。先ほど述べた「天草四郎」もそうですし、自らを透明人間だと表現したサクラちゃん、恋人に振られ恋人がまるで他人になってしまったシオリさん、そして恋人だったシオリさんに罵詈雑言を吐かせてしまったケンスケ。現代社会の闇と言いますか、承認欲求ってもはや社会問題に近しいものだと思うんですが、中でもそれが顕著だったのがサクラちゃん。彼女は同僚から「頼めばヤらせてくれる」*6と言われているように、不特定多数の男性と性的な関係を持っていました。彼女の中で、性行為は彼女の存在を一から認めてもらえる唯一の時間だったのでしょう。サクラとして認められているかはわからないけれど、少なくともその時間彼女は誰かに求められていて、その感覚でなんとかして自らの承認欲求を埋めていた。性的な欲求ではなくて、承認欲求を。だからいろんな人と躊躇いなく事に及んでいたんでしょうね。他者から見ればそれはただの無駄な行為でしかないんでしょうけれど、サクラちゃんにとっては重大で、自分をこの世につなぎとめる唯一の方法だったんだと思います。正義です。彼女なりの、自分を守るための正義だったんだと思っています。かつて自分をいじめた人たちに対して復讐しようとしたのも、出どころはおなじ感情なんだと思います。

そこで山田右衛門作天草四郎に許しを乞うた姿を見て、「何かを許すこと」と「生きたいと願うこと」を知ったんだと思います。ある種の希死念慮とともにずっと生きてきたサクラちゃんを救ったのは、直接的には天草四郎ではなくて右衛門作だったような、気がします。ここで、きっとサクラちゃんの正義は「自分が生きている実感を得て、その実感を奪った人を許さないこと」から、「生きたいと思う自分を許し、人を許すこと」になったんじゃないかな。徐々に人間としての感情を取り戻すというか。

にしても本当に橘花梨ちゃんは良い女優さんですね。とてもセンシュアルな雰囲気を持ちながらも矛盾するようなピュアさと儚さを感じさせる、愛してあげたいって思わせるお芝居だった。お顔も好きです。可愛い。抱きしめたい。

生きたいと願った人が死に、死んでも構わないと思っていた自分が今も息をして、それを喜べだなんて誰も言わなかったのがやさしさだなって思いました。

 

  

ああ書くの疲れてきた。もう小難しいこと考えて書くのやめよう。

 

この作品でわたしが一番好きなのはシオリさんなんだけど、その理由はどこまでも人間味にあふれているから、です。善も悪も超越した感情としての人間がシオリさんだなって感じました。一見献身的で優しくて甲斐甲斐しい女性に見えるけれど、ケンスケに振られたときに怒れたのは強くて優しいからなんだろうな~。カタギリさんは置いておいて(カタギリさんも好きだよ~)物語の中核を担う登場人物みんなどこか感情が欠落しているから、誰よりも人間的で誰よりも魅力があったのはシオリさんだった。晶さんが好きっていうひいき目もあるのかもしれないけど。晶さんってとってもミステリアスな雰囲気もあるんだけど、本当に「人間らしい女性」を演じるのが本当に上手だなって思う。人間のエネルギーを感じるよね。晶さん赤いタイトスカート似合いすぎ事案だった。

 

この舞台を見て、すこし主題からはズレるかもしれないけれど、思ったことがあります。宗教は弱者にとっては精神的な支柱だから、正誤は別として存在してしかるべき。でも技術の発達によって人の心が創り出した宗教を全て虚像であると決めつけてしまったら、その時そのひとたちはどうなってしまうのかな、と考えていたら寝てました。

技術の発達は人の心を強くしたんじゃなくて、弱くあることを許さない一面もあるなあ、と。

 

関係ないけどふと思い出したことがあって、Amazarashiというバンドの「古いSF映画」がとてもしっくりくるなあと。


amazarashi 『古いSF映画』

 人が人である理由が人の中にしかないのなら、明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょ。

 

とりあえず今後何回かまた観行くのですがケンスケさんのキャラをつかめずに終わってはいけない気がする。ケンスケさんをつかむまでわたし諦めない……

あと微妙にまだタイトル回収できていない。地球=他者の世界、なのかな~わかんねえ~

 

鴻上さん、台本売ってください!!!!!!!(無茶なお願い)

 

この記事を見て少しでも興味が出た!という方は是非是非!会場まで足を運んでいただけたら嬉しいです。きっと後悔しない。

l-tike.com

 

 

 

おわり。

*1:専門職ではない

*2:漫画で育っているので八百万の神様がいたらいいなって思っている

*3:言い方が悪い自覚はあるんだよ語彙力ないのごめんなさい叩かないで!!!

*4:自分の常識が世界の常識だと思い込んでいる人間もいるけどな!

*5:とはいえ彼の世界も島原周辺のキリシタンという非常に狭いコミュニティだったんだけど

*6:梅津くんのきれいな顔で言うこのセリフはよかった(?)